top of page
  • skcovita5884

もらい泣き

涙で終わった大会だった。それも、もらい泣き。


何かしらスポーツの大会で、結果に一喜一憂し

喜びや悔しさを爆発させる事が個人的に

僕の生活からなくなってから多分10年という

月日が経つ。 サッカーやフットサルという競技を

高いレベルで自分がプレーしなくなり

他の分野へ視野を広げ興味を示したことで、

それまで行ってきた競技自体への興味すらも

薄れていってしまった。


しかし、今回の東京オリンピック2020にて行われた

銅メダルを賭けて戦う男子サッカー3位決定戦では

違った。 

銅メダルを賭けて戦う日本代表とメキシコ代表の試合は

直前で試合時間が2時間前倒しとなる異例の措置が取られ

たことで、何か起こるのではないかと不安を感じさせる

措置でもあった。


試合が始まってTV観戦して直ぐに感じた違和感は選手らの

身体の重さであった。それは、日本代表だけでなくメキシコ

代表からも感じられた。 

しかし、そのような状況の中で身体が動き続けれる時間帯に

先制点そして追加点を取ったメキシコが優位に試合を進め

後半に1点を奪われるも最後まで粘り強く耐えて

3対1でメキシコの勝利で試合は幕を閉じた。 


試合が終わっても中継されていた映像を見ていたら

レアルマドリードに所属する久保選手の人目を憚らず

ピッチで号泣する映像が流れる。

ここで多くの日本人サッカーファンはグッと来たのではない

だろうか? 

案の定、翌日のメディアでの記事には

僕が個人的に憧れる中田英寿氏のドイツワールドカップでの

映像のように久保選手の号泣シーンが大きく掲載されていた。


しかし、僕がもらい泣きした理由は別である。

今回のメキシコオリンピック代表チームには、ひとり日本人

コーチがチームに帯同している。しかも、いわゆる戦術分析担当

と肩書はなっているが監督の右腕としてこのチームの立ち上げから

参加している西村亮太氏の涙であった。



実は、彼がサッカー指導者として日墨交換留学制度を利用し

メキシコに来た際に一緒にボールを蹴ったことがあった。

当時、僕のような現地採用、日本人駐在員そして日墨交換留学生で

サッカーチームを編成し、JAPOTECOS (ハポテコス)として

リーグ戦を戦っていた。そんなチームに一緒に日本サッカー

協会から日墨交換留学制度を利用して来た他のサッカー経験者らと

共に試合をしてきた。 勿論、それほど親しくする仲になることは

なかったが、信念もしくは意志を持った人だということは彼の行動を

見て思ったことは覚えている。

当時、僕がハポテコスに関わるようになってから、日本サッカー協会の

日墨交換留学制度を利用しメキシコに来たのち、指導者として

現地メキシコで活動しているかたはいなかった。(間違っているかもしれないが)

留学して一旦日本に戻り、またすぐにメキシコに戻って指導者として

歩み続ける気概のある人は見たことがなかった。


どれだけ努力をし、人との繋がりを大事にしながら日々を過ごしていたのかは

想像はつかない。しかしながら、相当な努力をして勝ち取ったポジションであること

は容易に想像がつく。

現地で生活してきた経験がある人間からすると、彼の努力、苦労、シンドさが

報われた瞬間ではないかと感傷に浸っていたら、涙がタラーっと頬に伝わった。


泣いていた。。。。。。


人の努力が報われる瞬間を見れたことで泣いた。


https://www.sopitas.com/deportes/ryota-nishimura-auxiliar-japones-seleccion-mexicana-juegos-olimpicos-tokio-2020/








最新記事

すべて表示

「存在意義」

彼女との時間で生じていた「笑い」を懐かしく思う日々を今過ごしている。 たった10日間であったが、年末年始の時期にメキシコに足を運んでくれた奥さん 僕の業務上、ホテルに缶詰め状態ではあったものの二人でいれる時間を楽しく 過ごすことが出来たと僕は感じている。 今、住んでいる都市から一番近いリゾート地であるイスタパへ遊びに行ったり メキシコシティにてマリアッチやルチャリブレを観戦したりと 一緒に居れる時

bottom of page