違和感
- skcovita5884
- 2022年4月29日
- 読了時間: 2分
最近、母国での戦争状態から逃れるため
ウクライナ人家族が避難民として日本へ来日し
ボランティアを含め様々な団体や自治体を通じて
避難民を受け入れているニュースを見て
素晴らしい事だと思うとともに違和感が芽生えてきた
のも正直な感想である。
その理由としては、「公平」「公正」ではなく
受け入れに明確な基準があるわけでもなく
先進国としての受け入れているというパフォーマンス
でしかないと捉えることが出来るからである。
自力で日本に来日し難民申請し未だ難民認定されず
入国管理局によって保護、管理される生活を送っている
複数の方との違いは何だろう?
難民として立証することは困難であるだろうが
かたや戦争によって免れてきた避難民との違いは
なんだろう?
また、別の視点であるが、NATOに属す国々は
その多くがキリスト教系の宗教国である。ウクライナは
キリスト教系の宗教国であるため、シンパシーを感じる
部分があるのだろうか? 様々な面で各国がウクライナ政府を
助けようとする
しかし、ミャンマーのロヒンギャしかり、シリア難民しかり
難民の多くはイスラム教を主とした国の方が多いのも特徴で、
イスラム教の国に対する理解やサポートというのは
日本も含めて西側諸国は得られないのだろうか
ミャンマーサッカー代表だった選手が亡命し難民申請し
認定され、様々な方のサポートもあり仕事を得ることも
出来た。 しかし、ワールドカップ予選中であり
オリンピック開催間近であり、世間の目が日本に向けられている
中で起きたことであったため、難民に対して寛容であることを
世界に見せつけるためのパフォーマンスとして「例外的」に
認定したと感じさせる対応であった。
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