久しぶりにSan Judasに参拝する方々を写真に収めた。
今回で何回目だろう? この場所を訪ねるのは。 多分10数回は訪れているはず。
そんな中、今回初めて全く関係ない人からお叱りを受けて
退散しなくてはいけない事態に
なった。
この2人組の写真を撮っている最中にいきなり「何しているんだ?」っとあるオッサンが近づいてきた。しかも、最初は彼ら2人組に聞きにいき、その後僕のほうに近づいてきて、もう帰ってくれと言ってきた。
何故かよく分からなかったものの想像すると彼ら2人はシンナーを吸っており(だから、写真に収めた)San Judaのイメージを壊す恐れがあるから
彼らに対して怒り、僕に対しても「危ないから」っというもっともらしい理由を言い放ってきた。
宗教を信じる、信仰することと
普段の行いの良し悪しは切り離して考えているのだろうか?
本来なら一致していなければならないのではないだろうかと個人的には思う。
確かにオッサンの考えはもっともであり自分が信仰する宗教を悪く思われたくない。
だから、信仰しながらも人間としてやってはならないシンナーを吸って意識障害を起こして
いる彼らをどうにかしたかったのだろう。写真に撮られて世間にそれを知らされたくなかったのだろう?