
荒廃した歴史的建造物を画像として写真におさめ、奇界遺産として
世界中に非常に奇妙でありユニークな場所や建物を撮影し著名人として
有名になった写真家の佐藤健寿さんが、以前クレイジージャーニーに
出演された際に軍艦島にある建造物内部の撮影を許可されて上陸した様子が
放映された。 それ以来、実際に自分も上陸して荒廃した建造物を
撮影したいなっと思っていたものの、チャンスも個人の意欲もないままで
あった。しかし、最近の廃墟や荒廃した歴史的建造物を撮影していたのと、
47都道府県を回る個人的プロジェクトを通じて長崎へ行く機会があり、
ついに軍艦島へ足を踏み入れることが出来た。

端島(はしま)こと軍艦島は長崎港から南西に約18キロの沖合に位置し
面積65000m2という小さな海底炭鉱で栄えた島である。岸壁が島全体を囲い
高層鉄筋アパートが立ち並び、その外観から軍艦「土佐」に似ていることから
「軍艦島」と呼ばれるようになった。
出炭量が増加するにつれ人口も増加し、狭い島で多くの人が生活できるように
1916年には日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設され、最盛期には
5300人もの人々が住んでいた。
しかし、国のエネルギー革命により、エネルギーの需要が石炭から石油への移ったこと
により出炭量も人口も徐々に減少し、1974年1月に閉山することとなった。
その3か月後には無人島へと変貌することとなった。

30号棟、31号棟アパート: 31号棟は雨風に対する防波堤的な役割を担っていた。
コンクリート造りであるもの、台風などによる雨風によって
剥がれ落ちて行っており今後もそれが続く。





貯炭ベルトコンベアー: 精炭(精選された石炭)は、このベルトコンベアーによって
貯炭場に蓄えられ、石炭運搬船に積み込まれた。
ベルトコンベアーの支柱が残る。

第二竪坑入坑跡: 主力坑だった第二竪坑を含め鉱山施設は、ほぼすべて崩壊しているが
かろうじて第二竪坑へ行くために設けられた橋への昇降階段部分が
残っている。

端島小中学校:7階建ての建物で1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校、6階が
講堂、図書館、音楽室が設けられていた。



台風などで自然崩壊が進み、荒廃していくスピードも加速していくことが予想され
今回見た光景が次の機会には、全く別の光景へと変貌していくのは明らかである。
無機質なコンクリートの塊が朽ちていく姿には、廃れていくものの美しさを感じずには
いられない。
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