アメリカ、プリンストン大学上級研究員である真鍋淑郎氏がノーベル物理学賞を
受賞し、プリンストン大学にて受賞会見を開いた際の質問についてのコメントが
的を得た答えであったっとSNS上で話題になった。
質問内容:「なぜ日本からアメリカに国籍を変更したのか?」
上記の質問に対する回答:
日本人は、いつも互いに迷惑をかけまいと気をつかいます。
とても協調的な関係を結ぼうとします。日本人が互いにうまくやっていける大きな理由が、そこにあります。
アメリカでは、私は好きなことができる。周囲がどう感じているかは気にしない。
人を傷つけたいとは思わないが、他人の考えを観察したりもしない。
アメリカでの暮らしは素晴らしい。私のような研究者は、やりたいように研究ができる。
上司は私の好きにさせてくれた。コンピューターは使いたい放題、何をしてもよかった。
日本に帰らない理由の一つは、そこにあります。
「私は協調しながら生きることができない」
最後の文言(フレーズ)が取りだされてSNS上で盛り上がっていた。
しかし、的を得たフレーズであるとともに彼のような抜き出た存在であり
確固たる信念(自分軸)を持って行動した人しか言えないフレーズであるとも
個人的に思えた。
その理由は、日本は国家というカテゴリーに属しているが、実態としては村社会である。
しかも、軍隊式教育が未だゴリゴリ蔓延る村社会である。
「自由」と「責任」を天秤にかけ「責任」の重さを大きくし、「自由」を放棄させよう
とする社会の流れを持つ特有な社会の一つである。
そんな社会の中で過ごすと、自分の思った事を言える事、自分のやりたい事を周りの意見や視線を気にせずに出来る楽しさを感じたとき、日本での閉塞感や調和重視の思考行動に違和感を感じたはずである。(長年、海外に在住したものでしか分からない感覚であると思うが) 勿論、やりたい事が出来る事によって責任も同時に生まれる。しかし、それと同時にトライ&エラーを繰り返しながら実のある体験を得られる。責任(リスク)を取ることで、結果的に実となる体験が出来、唯一無二の経験が得られると言えるかもしれない。
しかし、僕ら日本人には学校という狭い空間、社会に放り込まれ軍隊式の一方通行な
教育システムで育った人間は「与えられた指示に従って行動することが是とされ
集団社会の中での立ち振る舞いを学ぶなかで、社会で生き残っていくために得た
唯一無二のチップ ”空気を読み言動、行動する”」を自ら製造し埋め込んでいった。
そのため、予定調和な言動、行動しかとれない人間と化していったとも言えるだろう。
それは、いわば思考の同一化であり、同一化であることが是であり多様化は非であると
言える。 世間ではダイバーシティ(多様化)を求めて様々な動きがあるが、日本が
そのような多様性に理解ある国になるとは、今のところ理解できないのが本音である。
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