top of page
skcovita5884

日本近代遺産 鎮守府 葦谷砲台跡  ASHIDANI HOUDAIATO 



日清戦争以後、日露の対戦は必至と見て海岸防備を急いでいたため、舞鶴軍港の着工と同じく舞鶴湾の東岸に砲台を配置し、海軍の軍港 施設を守る役目から湾口の岬、市内への進入路を見下ろすことが出来る山の頂上に築かれ、戦後長い間放置されたままの状態で現在も

存在する。

その他にも、浦入各砲台と吉坂保塁、博奕岬電灯、下安久弾丸本庫を東側へ配置し

湾の西側に金岬、槙山各砲台、建部山保塁、白杉弾丸本庫などを配置し、現在も存在する。

先日、撮影した友ヶ島でも同様にレンガ作り建設された弾薬庫は、頑丈に作られており

レンガの赤茶色、褐色がノスタルジックな感覚を与える。

しかし、友ヶ島にある弾薬庫との違いは、「扉」が付いており開閉できるところである。


日露戦争が開戦したのが1904年である。110年以上も月日が流れているのに

未だに開閉できる扉に凄さを感じられずにはいられない。 







閲覧数:12回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page